2020年10月02日

議論の作法は文字起こしの質を上げる 反訳者が語る本音

日本人は議論に不慣れである――。会議や打ち合わせの文字起こしを手掛けたことのある方の多くが、こうした印象をお持ちではないかと思います。反訳に手こずる場面での処理のしかたや、そのような場面が生じてしまう背景について考えます。

 

議論の作法と文字起こし

 

目次

1. 音声が重なった時の反訳のしかた

会議や打ち合わせの文字起こしでは、他者の発言に自身の発言をかぶせる人が出てきたり、複数の人が同時に発言し始めたりして、どのように反訳したものか悩ましくなる場面に少なからず遭遇します。議論が白熱し、参加者各位の感情も高ぶってくると、そうした事態が起こりやすいように思われます。

 

音声の重なりの処理は、反訳者を悩ませる問題の一つです。例えば、AとBの2人が口論となり、互いに相手の発言を最後まで聞き終える前に自身の主張を始めてしまっている下記のような事例を想定してみます。みなさんであれば、どのように反訳しますか?

 

 A:「○○○というわけなので、私が思うに」          ①

 B:「ちょっと待ってください」                ②

 A:「そのときみんなでさんざん議論したように」        ③

 B:「ちょっと待ってって。いつの話を言っているんですか」   ④

 A:「先週って言ってるでしょう。だから、私が思うに○○○」  ⑤

 

このように、連続して発言が重なった場合、文字起こしで例外的に、発話を伴わなくても使用が許されている記号「……」を用いながら、少しだけ整理して、以下のように処理したりします。

 

 A:「○○○というわけなので、私が思うに、

            そのときみんなでさんざん議論したように……」          ①と③を結合

 B:「ちょっと待ってください。いつの話を言っているんですか」 ②を省き④だけに

 A:「先週と言っているでしょう。だから、私が思うに○○○」  ⑤

 

ただし、やりすぎは禁物です。もとの音声を生かしつつ、かつ読みにくくならないようにまとめるためには、当サイトのコラム「誤読を避ける文字起こしのやり方」や「こなれた整文反訳とは 文字起こしは誰のため?」でも言及したように、「音声と意味のバランス感覚」が重要になってきます。

 

 

2.「議論に不慣れ」となる背景

このように、文字起こしの仕事をしていると、

  • 相手の話を最後まで聞かない
  • 無駄に話が長い
  • 筋道立てて意見を展開できない

など、発言者が何を言いたいのかさっぱり分からないことがしょっちゅうあります。当然、そうした音声を文字列に置き換えたものを読み直しても、意味不明なものにしかなりません。

 

また、多くの人が「言質を取られる(責任を負う)」ことを嫌がるのか、

  • あえて曖昧な発言に終始している

ようにすら感じられます。

 

このようにして「議論に不慣れ」となる背景には、「文書記録の軽視」という文化があるように思えてなりません。

 

「言霊」という言葉もあるように、書かれた文字より口に出した言葉のほうに重みを感じてしまうのでしょうか。日本語が文字を持つようになったのは、人類の歴史のなかでも比較的遅かったことに加えて、「一々言葉にしなくても分かり合える」「ひとたび口にすれば魂(重責)が生じる」となれば、できるだけ明言を避けようとする風土として定着していったことも理解できます。

 

ただ、それでは議論が上達するはずがありません。

 

記録文書の重要性をきちんと理解しているなら、人はもっと正確な発言をしようと努めるのではないでしょうか。会議の内容を正確な記録に残すために録音し、反訳をわざわざ専門家に依頼する割には、乱暴な言葉遣いや差別とも受け取られかねない無神経な発言をはばからないなど、「自分の言ったことが記録として後世まで残る」という意識の薄い方が少なからずおられます。公文書の破棄や改ざんといった破廉恥な行為も、そのような心理の表れと言えるかも知れません。

 

 

3. 文字起こしを依頼する側のこれまでとこれから

地続きで往来できる大陸の諸国と異なり、海に囲まれて異国や異文化との人的交流が乏しくなりがちだったことは、価値観の共有化・平準化・統一化を助長する一因になったと考えられます。「言葉に出さなくても分かり合える」という独特の文化(今風に言えば、「空気を読む」という感じでしょうか)も、こうした地政学的な制約に端を発するものと言えそうです。

 

そして、この文化は、ふだん我々が使っている言葉にもよく表れているような気がします。日本語は「主語の省略」が頻繁に行われ、「誰が」「何が」をわざわざ発言しなくても、互いに通じ合ってしまいます。多彩な敬語表現が発達しており、主語を明示しなくても、その場の人間関係から動作主を察知できることも大きいと思われます。

 

一方で、ひとたび国の外へ出てみると、「以心伝心」や「阿吽の呼吸」といったものが通用しない世界があることを思い知らされます。多種多様な民族・文化が交じり合う大陸でなどでは、誤りのない意思疎通を図るために、明確な文書の記録を残すことを習慣にしておかなければ命取りになったであろうことは容易に想像でき、今に続く契約社会の礎になったと考えられます。

 

文化的背景の異なる人間同士が認識を共有し、対話による合意を形成する必要に迫られた場合、まずはそれぞれの主張を突き合わせ、違いを明らかにしなければなりません。必然的に、

  • 相手の話を聴く
  • 相手を納得させるために自説を論理的に展開する
  • 要点をまとめる

といった議論・討論のスキルが磨かれていくことになります。

 

同時に、話の筋道をたどれるよう、きちんと記録を残すために、公の場では正確に、はっきりと発言するというルールも出来上がっていったのでしょう。しっかりと記録が残る社会では、嘘・偽りや卑怯な発言をすれば厳しく責任を追及され、発言が世の中に貢献したと認められれば称賛されることになるからです。

 

グローバル化とIT化が進み、国内外を問わずリアルタイムで双方向の対話も容易になった今、私たちはいつまでも「議論に不慣れ」なままでいると、時代に取り残されてしまうおそれがあります。

 

議論に不慣れなとなる背景

 

4. 高品質の文字起こしを早く手にするためにも

欧米では古くから、初等教育の一環としてディベートが行われてきたことが知られています。テーマが与えられ、賛成・反対の2チームに分かれて、審査員をより説得する論理展開をしたチームの勝利となります。くじ引きでチームを決めることもあるようですが、日頃の持論とは反対側の意見に回されることも少なくないそうです。そうすることで、自分とは違う意見や多面的な物の見方を身につける訓練になるという狙いもあるのでしょう。

 

文明・文化や教育思想、国民性の優劣をここでは論じ得ませんが、反訳者の見地からすると、会議は欧米スタイルで進めていただいたほうが、文字起こしがやりやすくなることは間違いありません。その効能は以下のとおりです。

 

  • 「相手の発言を最後まで聴く」 → 音声の重なり(同時発言)の防止になります。
  • 「相手を納得させる論理的説明」 → 主語・述語の対応関係が明示されて、誤読の予防になります。
  • 「要点をまとめる」 → 不必要な言葉が減り、すっきりとした文章になります。

 

文字起こしを依頼する立場の方におかれましても、議論の「作法」に通じていただくことで、会議自体もスムーズに進行して生産的な場となるだけでなく、文字に起こされてくるものも記録としての価値が格段に向上することを、この場をお借りして強調させていただきたいと思います。

 

議論の作法に通じると、会議の進行も記録としての価値も向上する