2021年09月03日

正確な文字起こしのために 知っておきたい日本語知識(その2)

文字起こしに携わる反訳者は、広い日本語の知識を身につけなければなりません。そのためには耳で聞く音だけでなく、絶えず「文字で書かれた日本語」を目にしておく必要があります。「文章を創ること」は「文章を読むこと」から始まります。

 

文章を創ることは文章を読むこと

 

 

目次

1. 文字起こしのツボ 「過渡期」にある言葉の取扱い

前回(正確な文字起こしのために 知っておきたい日本語知識(その1))の続きです。

「単純な言い間違いや漢字の読み間違いは文字起こしの過程で訂正する」と述べましたが、それ以外にもしばしば遭遇するのが「成句・慣用表現のミス」です。

次の表現のどこがおかしいでしょうか。

 

  • 立ち振る舞い
  • 取りつくひまもない

 

正解は、

 

  • 立ち振る舞い
  • 取りつくもない

 

です。

「立ったり・座ったり・行動したり」という意味なので、「座る」に相当する「居(い)」の字が入らなければいけないのですが、音だけでは、確かに「たちふるまい」と聞こえなくもありません。同様に、海に放り出され、どこにも泳ぎ着けない状態なので「取りつく島がない」が正しいのですが、江戸っ子でなくても「ひ」と「し」の聞き分けは難しく、「暇(ひま)」でも意味が通じてしまうため、しばしば誤用されます。

これもまた「過渡期」にある言葉のようです。現時点では、筆者はどちらの発言も正しい表記(「立ち居振る舞い」「取りつく島」)に訂正して文字起こしをしていますが、いつまで続くことやら……。遠くない未来に、誤用派が多数を勝ち取る日が来そうです。依頼先に納めた原稿が「立ち振る舞い」「取りつくひま」に直される日が来たら、こちらも方針転換しなければなりません。

「過渡期」にある言葉の取扱い

 

 

2. 文字起こしは「音を聴き取る」「正しく表記する」のマルチタスク

例で挙げたように、聞こえる音と表記に微妙な差異が生じることがあります。音に釣られて機械的に文字化していくと、思わぬミスを犯してしまいます。それを防ぐには、常日頃から「正しく書かれた文章」を目にしておくことが大切です。文字起こしとは、「しっかり音を聴き取る」プラス「正しい表記をする」という、異なる2つの作業を同時に行うマルチタスクなのです。

時には、発言者自身が間違って覚えているせいで、自信満々で誤った発言をする場合もあります。ここでも本来の正しい日本語を知らないと、音に釣られてしまいます。それに備えて、こちらもより幅広い日本語の知識を身につけておかなければなりません。

あるテレビ番組で「オラウータン」というテロップに驚いたことがあります。正しくは「オランウータン」。マレー語で「オラン(人)」「ウータン(森)」、つまり「森の人」という意味です。これもまた、耳だけの知識で、正しい表記を目にしていないがゆえに起こるミスでしょう。ほかにも、スポーツの「ボーリング」やお菓子の「バームクーヘン」も、文字にするときは「ボリング」「バムクーヘン」と表記します。

もちろん文字起こしの基本は、何よりもまず「音を聴き取る」こと。かといって、完全に音だけに頼り切っていると、あちこちで表記ミスを犯すことになります。

 

文字起こしは「音を聴き取る」「正しく表記する」のマルチタスク

 

 

3. 文字起こしのツボ ほかにもある成句・慣用表現のミス

さらに幾つか例を挙げておきましょう。

「交通の要所」は、本来は「交通の要衝」が正しい表現です。「大事な場所」という意味の「要衝(ようしょう)」なのですが、「要所(ようしょ)」でも意味に違いがなく、音もそう聞こえてしまうため、最近は「要所」でも可となりつつあります。

「熱にうなされる」は間違いで「熱に浮かされる」が正解ですが、確かに高熱を出して寝込んでいるときは、「熱に(うんうんと)うなされる」という表現のほうが、むしろしっくりくるかもしれません。これらは「過渡期」を通り過ぎ、広く社会に浸透しているので、もはや言い間違いとは断定できません。なので、たとえ居心地の悪さを感じたとしても、我慢して発言どおり文字化するほうがよいかもしれません。

また、よく似た言葉が混同して誤用されるケースも多くあります。「おざなり」と「なおざり」は、かな表記では双子のようにそっくりですが、漢字に直すと「お座成り」「等閑」とまるで違います。当然、意味も異なり、

 

おざなり……その場を取り繕って適当に振る舞うこと。

なおざり……いい加減にして放っておくこと。

 

何もしなければ「なおざり」で、ちょっとでも手をつければ「おざなり」になるわけです。

 

 

4. 反訳者必携「用字例」に救われる文字起こしの例

声高に主張を述べることを「侃々諤々(かんかんがくがく)」といい、「侃々諤々の議論」などと使いますが、音が似ているため、大勢が騒ぎ立てる様子の「喧々囂々(けんけんごうごう)」と混同されることがよくあります。両方がごっちゃになって「けんけんがくがく」「かんかんごうごう」と発言する人さえあります。

幸いなことに、「用字例」(公益社団法人 日本速記協会発行「標準用字用例辞典」ではどちらの四字熟語も「ひらがな表記」と定められているため、「おざなり/なおざり」とともに、あえて訂正せず、音声どおり文字化するようにしています。気を利かせて何でもかんでも正しい日本語に直してしまうと、発言者のプライドを傷つけ、不興を買いかねないからです。

言葉の言い換えは、広義の改ざん・編集に当たる場合もあるので、「さりげない気遣い」にとどめておくのが無難でしょう。