2020年08月28日

文字起こし熟練者の「職業病」とは

当サイトのコラム「『反訳者の脳』を手に入れて文字起こしを効率化」で、熟練者の中には意外にも逐語反訳が苦手になってしまう人もいることをご紹介しました。今回はそうした熟練者にまつわる、思わず微笑んでしまう「職業病」のお話です。

 

「職業病」といっても、キーボード入力に伴う腱鞘炎や眼精疲労、長時間のデスクワークによる腰痛といった、労災認定の対象となるような疾患のことではありません。そうではなく、文字起こしの熟練者になると仕事を離れている時にもついついやってしまう「癖」のような、いわゆる「反訳者あるある!」の類になります。

 

いったいどんな「職業病」なのか、「反訳者の脳」を手に入れている熟練者の方に伺いました。 以下は、その時のインタビューになります。(太字が聞き手になります)

 

文字起こし熟練者の職業病とは 

 

目次

1. 視界内にある誤字に反応してしまう

――「職業病」といえば、私にも遠い昔の営業職時代からの重篤な「後遺症」があります。文字起こしの話ではないのですが。

 

ほう。それは、どのような?

 

――リラックスしたい時に音楽を聴くのですが、時折、全身がビクッと硬直する瞬間があるのです。当時持たされていたポケットベルの呼出音と同じ高さの音が楽曲の中で鳴ると「発症」するんですね。我ながら呆れたものですが、それに類する御経験なのでしょうか?

 

それは、お気の毒に……。では、私も音になぞらえてお話をしましょう。

 

「絶対音感」を備えている人は、日常のあらゆる音がドミソの音階で聞こえるといいます。それに近い感覚でしょうか、文字起こしのベテランになると、いつしか「絶対文字感」のようなものが備わってくるのですよ。

 

――絶対音感ならぬ「絶対文字感」!?

 

そうなんです。ふだん人と話しているとき、あるいは漠然とテレビを見ているときなどに、聞こえた音声を無意識に頭の中で文字に変換しているのです。特に、その言葉に同音異義語がある場合、「この文脈だと、こっちの漢字だな」などと考えてしまいます。そのため、テレビの画面に出てくる字幕が間違っていると、すぐに気づいてしまい、訂正したくなります。

 

――それは落ち着きませんね。

 

とにかく、書籍や雑誌、折り込み広告、果ては店頭のポップ(商品説明などの販促広告)に至るまで、誤字にはとても敏感です。当然、自分が手紙などを書く場合も、正しい文字遣いに対するこだわりが強くなります。また、反訳作業で用いる「標準用字例」(公益社団法人「日本速記協会」発行の『標準用字用例辞典』に記載された文字遣い)が身に沁みついてくると、個人的なメモや手控えのようなものでさえ、用字例に倣った表記をしてしまったりもします。そうでない文字遣いをすると、何となく気持ちが悪くなってしまうんですね。

 

熟練反訳者は視界に入る誤字に反応してしまう

 

2. 聞き慣れない言葉を調べずにはいられない

――熟達するほど「重症」になっていきませんか?

 

反訳の精度を高めるための基本動作の一環として、聞き慣れない言葉にもアンテナを張るようになるわけですが、これが拍車をかけます。全ての言葉に対してというわけではありませんが、「この言葉は今後、世間のあちこちで頻繁に使われるようになりそうだな」と感じたときは、意味を調べずにおくわけにはいきませんので。そうやって語彙力が否応なく蓄積されていき、言葉を適切に使い分ける感覚も研ぎ澄まされていくと、誤字もますます目につくようになります。

 

――聞き慣れない言葉をその都度調べるのは大変では?

 

かつては、一々辞書を引かなければなりませんでしたが、それでも新語が収録されているとは限りません。辞書に載っていなければ、専門書を探すか、知っていそうな人に尋ねるぐらいしか調べる手段がありませんでした。現在はインターネットという大変便利なツールがあり、スマートフォンなどのモバイル端末があれば場所を選ばずただちに検索できるので、随分調べやすくなりました。

 

日々生まれてくる新しい言葉は、最初のうちは表記が統一されていませんが、しだいに決まった書き方が定着していきます。そういった表記の変遷にも気をつけるようになります。例えば、今現在、メディアでも「ウィズコロナ/Withコロナ」という2つの表記が並存していますが、いずれはどちらか一方に収れんしていくはずなので、どちらが優勢になるかに注目しています。

 

熟練反訳者は聞き慣れない言葉を調べずにはいられない

 

3. 反訳者は毎日が勉強

――文字起こしに熟練すると物知りになれますね。

 

そうかも知れません。ただし、反訳者の多くは「浅くて広い」知識の持ち主です。広範なジャンルの言葉と表面的な意味は知っていても、専門家のように深く理解しているとは限りません。むしろ、音声を文字化するのに最低限必要な程度しか知らないものです。もちろん、得意分野に限っては、かなり造詣の深い反訳者もいることでしょう。

 

この「広範な」というのが、実はとんでもなく裾野が広くて、行政、法律、医療、科学といったお堅い分野から、全国各地の名所や名産品、テレビタレントや若者の流行語まで片っ端からストックしておかないと、なかなか熟練の反訳者にはなれません。

 

――どのくらいの言葉をストックしておけばいいのでしょうか?

 

私がこの仕事を始めたとき、先輩に「外国語が聞き取れないのと同様、知らない言葉は聞き取れない」と教わりました。細かい意味まで分からなくても、「こういう言葉がある」と知っているだけで、ちゃんと聞き取れて文字化できるようになります。

 

「毎日が勉強」とよく言われますが、反訳という仕事は、まさしくそのとおりだと思います。新しい言葉が生まれ続ける限り、反訳者もまた成長し続けなければなりません。

 

毎日が勉強

 

4. 極めども究めども

インタビューは以上です。文字起こしは一人での寡黙な作業だからかも知れませんが、語られる内容の端々に、どこか求道者に通じるものがあると感じたのは私だけでしょうか。

 

     ◇

 

文字起こしをなさっているみなさまやお知り合いで「反訳者あるある!」のエピソードをお持ちの方がおられましたら、当コラムでご紹介させていただければと思っておりますので、ぜひお寄せください。メールの宛て先は「mjinfo@bunsho-system.com」です。