誤読を避ける文字起こしのやり方
聞き取れた音声のとおり文字に直したはずなのに、話者の意図とは真逆の文章となって誤読されかねないことが、文字起こしではしばしば発生します。原因の分析と回避策の検討を通じ、良い文字起こしとは何かについて考えてみたいと思います。
目次
1. 正確な文字起こしが誤読を招く?
良い文字起こしの大前提は正確さです。ただ、聞こえたとおりを文字に起こしても、読みづらいものになってしまうことを、当サイトのコラム「ケバ取り・整文・逐語反訳 読みやすい文字起こしはどれ?」でご紹介しました。読みやすくするには、少なくとも「ケバ取り」をする必要があります。
そうやって、正確さを維持しながらも読みやすい反訳をできたからといって、安心してはなりません。そもそも文字起こしというものは、本来なら耳で聞いて理解する音声を、目でたどる文字に置き換えたものです。抑揚や声色、口調といった、文字面だけのコミュニケーションにはない様々な情報が、反訳の過程で削ぎ落されてしまっています。
その結果、文字に起こしたものが独り歩きを始め、話者の意図と真逆の意味になって伝わってしまうおそれもあります。そうなると、文字起こしの主目的である「記録としての価値」が揺らいでしまうため、回避策として何かしら手を加えざるを得ない場合が出てきます。かといって、作り話にならないためには、元の音声から逸脱するわけにもいきません。
文字起こしを究めていく過程で避けて通れないこうした悩ましさを、具体的な事例で見ていきます。
2.「否定文」の言い回しが出てきたら要注意
聞こえたとおり文字に起こした場合、ケバ取りをしただけでは誤読・誤解を避けられないおそれがあるのは、「否定文」のケースが多いようです。
2-1. 必要な言葉が端折られているパターン
【事例1】
話者の意図 :「○○を探して(どこにも)ない」
聞こえた音声 :「○○ヲサガシテナイ」
音声どおりの文字起こし:「○○を探してない」
読み手の受け止め方A : 話者は、探したけけれども見つけられずにいるのだな
読み手の受け止め方B : 話者は、探す行為をしていないのだな
2-2. 疑問を投げかけつつ誘導するパターン
【事例2】
話者の意図 :「○○じゃない?」
聞こえた音声 :「○○ジャナイ」
音声どおりの文字起こし:「○○じゃない」
読み手の受け止め方A : 話者は、相手に共感・賛同を求めているのだな
読み手の受け止め方B : 話者は、○○を否定しているのだな
【事例2’】
話者の意図 :「○○と思わない?」
聞こえた音声 :「○○トオモワナイ」
音声どおりの文字起こし:「○○と思わない」
読み手の受け止め方A : 話者は、相手に共感・賛同を求めているのだな
読み手の受け止め方B : 話者は、○○を否定しているのだな
上記いずれの事例も、「読み手の受け止め方B」は誤読を招いていることになります。
3. 誤読・誤解を回避するには
逐語反訳ほど厳密さが要求されない場合でも、文字起こしにおいては、音声として発せられていない文字をみだりに補うことは慎まなければなりません。
また、「?」(疑問符)や「!」(感嘆符)についても、元来、日本語にはなかったことから、文字起こし業界では原則として使用禁止にしているところもあります。
このため、誤読・誤解を回避するには、以下のような工夫が求められます。
3-1. 事例1「○○を探してない」の場合
「○○を探してない」という発話の意図が「○○を探して(どこにも)ない」である場合、一般的には読点を使って
- 「○○を探して、ない」
と処理します。これにより、否定文であることが明確になります。
ただ、これが並列で登場すると、
- 「Aを探して、ない、Bを探して、ない。Cを探して、ない……」(*)
と、細切れになって、非常に読みにくくなってしまいます。
とはいっても、ほかには打つ手がないので、忸怩たる思いで「*」印のように文字化するしかありません。最も重要なのは「肯定か否定か」なので、そこは外さないように気を配ります。
3-2. 事例2「○○じゃない」、事例2’ 「○○と思わない」の場合
これらについて、話者が共感・賛同を求めていることを明らかにするには、
- 「○○じゃないのか」
- 「○○と思わないか」
と、助詞を適宜補う方法があります。
ただし、これらは本来、話者が発していない音なので、どうしても補わざるを得ないときに限るべきでしょう。
聞こえる音声に忠実な文字列であることを優先するか。話者の意図を忠実に反映することを重視するか。これは、文字起こしの熟練者にとっても悩みどころです。
4. 初心者が気を付けるべきこと
初心者が手掛ける文字起こしは、初めはとにかく聞こえる音声に忠実であろうという意識が働くせいか、無機能語が多くなりがちです。
そこで、「もう少し無機能語を削って読みやすくしてください」とお願いすると、今度は話者の意図に忠実であろうとする意識が強くなるためか、「言い換え」や「付け足し」が増えます。そうなると、元の音声からどんどん離れていってしまうことになります。
4-1. 「編集・創作」の領域には踏み込まない
文字起こしにまだ慣れていない人が、やむを得ず音を補う場合、
- 「○○を探してもどこにも見つからない」(事例1)
- 「○○じゃないとは考えられませんか」(事例2)、「○○と思わないのですか」(事例2‘)
などと、次々に言葉を付け足していく傾向が見られます。特に、語彙力・文章力に自信がある人ほど、こうした傾向に走りやすいので注意が必要です。
確かに、意味としてはそのとおりなのですが、こうした言葉の端折り方や誘導の口調を用いる話者は、全体を通じて同じしゃべり方をするため、結果的にあらゆる箇所で言葉を補わなければならなくなります。
ですので、話者の意図に対して忠実であることを優先し過ぎると、話者が実際には発していない言葉の分量が増えていき、音声に対して忠実な文字起こしからは遠ざかっていってしまいます。そうした文字起こしは、熟練者の間で「編集・創作」と呼ばれ、忌避されるものの一つになっています。
4-2. 忌避すべき「編集・創作」の具体例
話者の音声の逐語反訳と、初心者の反訳、熟練者の反訳を読み比べてみましょう。元の音声にはなく付け足された部分は赤字に、言い換えたり語順を変えたりした部分は緑字にしています。
話者の音声の逐語反訳:
「9時頃だっけ、夜の。その段階で警報が発令されてた、知ってる? 知らない? こりゃやべえっつって大騒ぎになったんですよ」
初心者による「編集・創作」が混ざった反訳:
「夜9時頃の段階でしたか。警報が発令されていたのを知っていますか。知らないのですか。これはやばいということで大騒ぎになったんですよ」
熟練者による反訳の例:
「夜の9時頃だっけ。その段階で警報が発令されていた、知ってる、知らないか。こりゃやばいといって大騒ぎになったんですよ」
初心者よりも熟練者のほうが、赤字や緑字の部分が少なく抑えられています。熟練者は、元の音声をなるべく損なわず、読むときにも支障が生じないよう、「妥協点」を探っていることをお分かりいただけるかと思います。
5. 良い反訳者に求められるもの
当サイトのコラム「反訳者の脳」を手に入れて文字起こしを効率化する」に登場した熟練者の述懐で本稿をしめくくりたいと思います。
「良い反訳者に求められるのは、音の正確性と意味の正確性に対するバランス感覚である。音だけを優先すれば、誤読覚悟の意味不明な文章になってしまう。かといって、意味だけを優先すると、反訳者の主観・解釈で言葉を言い換えたり、発言していない言葉を付け足したりして、音声記録の文字化の範疇を超えてしまう。そうならないよう、過不足のない音と意味の再現を図り、記録としての正確性を追求することこそ、文字起こしに携わる者の永遠のテーマではないだろうか」