2021年02月05日

プロ反訳者が携わる文字起こしのジャンル(その2)

文字起こしのプロは様々な分野の録音音声を文字化しています。国会の本会議から、個人がICレコーダーで録音した雑音混じりの音声まで。前回コラムで三権分立の2つ─〈立法〉と〈行政〉に触れました。今回は、残る〈司法〉のお話です。

 

プロ反訳者が携わるジャンルとは

 

目次

1. 文字起こし熟練者だけが携われる“超”特殊な分野 

「司法」と聞いて思い浮かぶのは何でしょうか。警察? 検察? テレビのサスペンスドラマやミステリー小説を連想される方もいらっしゃるかもしれません。

文字起こしが関係してくるのは、司法の中でもクライマックスの〈裁判〉の部分になります。裁判所も官公庁の一つであり、業務の一部を外部に委託発注しています。具体的には、裁判手続の一つ〈尋問〉の録音反訳を、文字起こしのプロたちが請け負っているのです。

個人情報や守秘義務といったデリケートな問題が絡んでくるため、経験の浅い反訳者ではまずタッチできません。キャリアを積み、文字起こしの技能を信頼された一部の反訳者だけが任される極めて特殊な分野になります。

守秘義務に抵触するおそれがあるため、個別具体の詳細なお話はできませんが、概要を述べることで、文字起こしの広大深淵なる世界の一端をお伝えできればと思います。

 

文字起こし熟練者だけが携われる特殊な分野

 

2. 文字起こしの基礎知識「裁判・裁判所」の簡単なおさらい

まず今回も、簡単に「社会・公民」のおさらいをしておきましょう。

日本には、最高裁判所をトップに、高等裁判所、地方裁判所、家庭裁判所、簡易裁判所の5つがあります。また、裁判所で取り扱う事件は、刑事事件、民事事件、行政事件の3つに分類されます。民事事件は主に私人同士のトラブルに関するもので、行政事件は相手方が行政機関となるもの、そして刑事事件は、法に違反する行為(犯罪)の処罰に関するものになります。日本では〈三審制〉を採用しているため、誰でも同一事件で3回裁判を受ける権利を持っています。

民事事件を例に説明しましょう。何らかの物的・心的損害を被った原告が、被告を相手に裁判所に訴訟を提起し、裁判所(裁判官)は双方の言い分を聴いた上で判決を下します。仮に地方裁判所に訴訟を提起すると、これが第一審となり、その判決を不服に思った原告または被告は、上級の高等裁判所に再度の審理(第二審)を求めることができます。これを〈控訴〉といいます。その判決がさらに不服だった場合、もう一つ上の最高裁に3回目の審理(第三審)を要求できます。これを〈上告〉といいます。

 

 

3. 文字起こし熟練者も緊張 裁判の〈尋問〉はアドリブの連続

訴訟提起から判決までの一連の過程で、裁判官が法廷で当人や関係者から話を聴く手続を〈尋問〉といいます。録音反訳を行うのは、この〈尋問〉の部分になります。文字起こしした原稿は「尋問調書」と呼ばれ、裁判官が判決を下す際の大事な資料になります。会議の記録などと違い、関係当事者の人生を直接左右する極めて重要な内容であるため、文字起こしには細心の注意が必要です。言うまでもなく、反訳者が内容を第三者に漏らすことは厳しく禁じられています。

尋問は、証言台に座った原告・被告本人(当事者)あるいは証人(関係者)に、双方の代理人弁護士、裁判官が質問を行い、それに答える一問一答方式で進んでいきます。進行や形式が決まっている会議や講演会と違い、アドリブの連続ですから、その文字起こしは高度な緊張感を伴うものとなります。尋問に答えるのはあくまで普通の人々であり、緊張で声が小さかったり、滑舌が悪かったりすることも多々ありますが、聴き取りミスや誤字は許されません。それによって発言の意味が変わってしまうかもしれないからです。

しかし、そこには確かに原稿の音読ではない「生の声」が息づいています。リアルでストーリー性・ドラマ性がある分、逆に聴き取りに集中できるのです。

 

文字起こし熟練者でも緊張する、尋問の反訳

 

4. 文字起こし熟練者歓迎のプラス面

〈尋問〉の文字起こしをする上で特徴的なのは、当サイトのコラム(文字起こしと臨場感 AI音声認識が省みない“残り93%”への挑戦)でも述べたように、〈ト書き〉の使用が許されている仕様である点です。音声としては記録されない動作を「と○○した(とうなずいた、と右手を挙げた、など)」のように書き表すことができます。これは、証言する本人・証人の言葉だけでなく、答える態度が判決に関わってくるためです。臨場感を大事にしたい反訳者としては大歓迎したい仕様で、できるなら他の会議の文字起こしでも、使用を認めてほしいくらいです(とはいえ、尋問調書でも無制限に使ってよいというわけではなく、原則は依頼主から指示がある場合に限られます)。

このように、裁判の尋問調書の作成は普通の会議や後援会とまるで異なるのですが、反訳者にとってはプラス面とマイナス面があります。整理すると、

プラス面  : ドラマ性・ストーリー性がある。〈ト書き〉が使える。

マイナス面 : アドリブのため聴き取りが難解。ミスが許されない。

となります。

 

 

5.「文字起こし」「録音反訳」の世界は広大で深遠

プロの反訳者が文字起こしする音声は、実に多岐にわたっています。そして、ジャンルごとに細かなルールがあり、それに従って文字起こしを行わなければなりません。また、広範な知識と確かな国語力も身につけなければなりません。単に「音声を聴いて、そのとおりに文字にしていけばいい」といった簡単なものでは決してないのです。

それだけに、納めた原稿にほとんど修正・訂正が入らなかったときの喜びはひとしお。思わずガッツポーズを取ってしまうほどです。「文字起こし」「録音反訳」の広大・深遠な世界の一端を少しでもお伝えできたなら幸いです。

 

文字起こしの世界は広大で深遠である