ご存知ありませんか? 文字起こしにまつわる文芸作品(その1)
文字起こしは極めて地味な作業ですが、「消えゆく音声に永遠の形を与える営み」などと表現してみると詩的でさえあります。文芸作品の題材になったりしていないものでしょうか。ちょっぴり気になったので、読書家の熟練者にきいてみました。
目次
1. 文字起こしは「主役」にはなりにくい?
――日本語や文字にまつわる地味な作業をモチーフにした文芸作品としては、「文字起こし」ではなく「辞書づくり」の話ですが、三浦しをんさんの小説で2012年に本屋大賞を受賞した『舟を編む』が記憶に残っています。映画化もされ、第37回日本アカデミー賞に輝くなど、高く評価されました。
出版社の辞書編集部を舞台に、人間模様にとどまらず、新しい辞書が企画されてから刊行に至るまでの工程が詳しく描かれており、辞書づくりの何たるかを垣間見ることができましたね。
――文字起こしについては、どうでしょう。ICレコーダーが普及する以前、音声はテープレコーダーで収録していたので、少し前の作品になると「テープ起こし」になるのかも知れませんが。あるいは、速記文字で記録するしかなかった時代になると「反訳」でしょうか。
私の職業を知った人から、「文字起こしや反訳をモチーフにした本はありますか?」と、たまに聞かれることがあります。辞書の編纂もそうですが、一般の人にはなじみのない仕事のため、どんなことをするのか、一体どんな世界なのか、興味が湧くようです。
ただ、読書量にはかなりの自負を持つ私ですが、残念ながら、「文字起こしそのものがキーになる」文芸作品は知りません。
小説などで取り上げられない理由は、ずばり「地味な作業だから」に尽きるでしょう。何しろ、独りパソコンに向かい、何時間もイヤホンで録音を聴き、ひたすらキーボードを叩き続けるのが文字起こしです。外から眺める第三者にとってみれば、こうした作業自体には、スリルもサスペンスも、ドラマチックなアクションもありません。これでは、とても読者を引きつける物語にはならないでしょう。
2. 文字起こしという仕事の実態をうかがい知れる作品
――文字起こしという仕事を理解するうえで参考になる作品はないでしょうか。
やや難解な短編になりますが、いとうせいこうさんの『今井さん』(『鼻に挟み撃ち 他三編』所収)には、そうした文字起こしの実態が詳しく描かれています。いとうさんに文字起こしの経験があるという話は聞いたことがないので、恐らく本職の反訳者に話を聞いたものと思われます。ジャンルとしては純文学なので、読者によって感想が分かれそうです。
この作品には、反訳者なら「うんうん」と首肯できる一節があります。主人公が、録音された音声の反訳作業中に怒りを感じるくだりです。
――怒り?
このようなくだりが出てくるんです。
「この馬鹿が、うすっぺらなことばっかりだ。定義も曖昧なら論理展開も曖昧でなぜ学者がつとまっているんだろう糞が、低能が頭よさげに振る舞ってるが実は田舎者のお山の対象で(以下略)」
この、ちょっと〈筒井康隆風〉の罵詈雑言には、思わずニヤッとしてしまいました。反訳者なら、文字起こしをしなければならない音声の録音を聞きながら、発言のお粗末さにイラッとなることがしばしばあるでしょう。こういった率直な感想は、実際に文字起こしを経験した者にしか分からないものだと思います。いとうさんが、経験を積んだ反訳者にきちんと取材したのは間違いないでしょう。
文字起こしは、想像以上にストレスのたまる仕事です。「録音音声の悪さ」「(同時発言などの)議事進行のまずさ」、そして「発言の不明瞭さ」「発言内容のいい加減さ」など、原因には事欠きません。しかも、長時間、聴力に神経を集中し、キーボードを叩く二本の手(と、人によってはフットペダルを踏む足と)以外は動かさずに、同じ姿勢で椅子に座り続けなければならない。文字起こしの仕事を続けていくには、強靭なメンタルが求められるのです。
3. 文字起こし経験者の作家による作品
――文字起こし出身の作家はいないのでしょうか?
直木賞受賞の人気作家・宮部みゆきさんがデビュー前に文字起こしの仕事をされていたことは、知る人ぞ知る話ですが、彼女の作品にも文字起こしのエピソードはほとんど出てきません。
それでも、宮部さんの短編『ドルシネアにようこそ』(『返事はいらない』所収)には、速記者を目指す主人公が登場します。一級速記士になるために専門学校に通う青年で、録音反訳・文字起こしのアルバイトをして生活費を稼いでいます。
この短編自体は、ハートウォーミングな佳品です。短いお話なので、未読の方にはぜひお薦めしたいです。ただし、文字起こしについては、ごく簡単に触れられているだけで、ストーリーには一切絡みません。あくまで「都会になじめない、さえない地方出身者」という主人公をキャラクターづけする意味合いしかありません。
4. AI音声認識との付き合い方を四半世紀以上前に予見?
ただ、宮部さんのこの作品には、こんな一節があります。
「今はまだ、音声を自動的に文章に翻訳する機械は実用化されていないし、されたとしても、それ一台でありとあらゆる局面に対応できるかどうかは、怪しいものだ。人の手でやらなければならない部分は、必ず残っていくだろう。」
この部分には強く共感しました。刊行されてから四半世紀以上も経っていますが、実際、その通りになっていると思います。
チェス、将棋に続き、まだ何年も先と思われていた囲碁ですら人工知能(AI)が人間を打ち負かすなど、科学技術の進歩が著しい今日、「録音反訳もコンピューターが人間に取って代わるようになるのでは?」との見方もあろうかと思います。しかし、私はそうならないと考えています。
なぜなら、どれほど進歩しても、コンピューターは計算機にすぎず、計算式(ルール)の中でしか存在できないからです。それはつまり、「有限」の枠をはめられているということです。
対して、「言葉(=概念)」は「無限」です。幾らでもルールを破ることができます。例えば、「冷たい太陽」などの矛盾した表現を用いて、そこに特別な意味を持たせることができるのです。
実際、音声認識はかなり以前から運用されていて、認識力はどんどんアップしているのですが、それでも、いまだに単語か、せいぜい文節を理解するのがやっとです。何十分、さらに、それ以上にわたる録音を正確に文字化するには、結局は人間が修正を施さなければなりません。
(「その2」へつづく)
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